創業への挑戦
江戸時代末期、初代・瀬古安太郎は岐阜県武儀郡上之保村に生まれました。
時計店を営む傍ら写真術に強い関心を抱き、写真技術の習得に挑戦。
当時の先進技術を学びながら機材を整え、日本の写真黎明期を支えた写真師たちのもとで技術を磨きました。

1875年(明治8年)、瀬古写真は岐阜市で創業しました。
創業者・瀬古安太郎が写真館を開設した当時、写真はまだ一般には広く普及していない新しい技術でした。先進的な技術と探究心をもってその可能性を追求し、地域の人々の人生の節目や大切な瞬間を写し続けてきました。
家族の成長を見守る記念写真。
学び舎で過ごした日々を刻む学校写真や卒業アルバム。
人生の節目を彩るさまざまな記念撮影。
時代が移り変わっても、「思い出を未来へ残す」という想いは変わることなく受け継がれています。
江戸時代末期、初代・瀬古安太郎は岐阜県武儀郡上之保村に生まれました。
時計店を営む傍ら写真術に強い関心を抱き、写真技術の習得に挑戦。
当時の先進技術を学びながら機材を整え、日本の写真黎明期を支えた写真師たちのもとで技術を磨きました。
日本最大級の内陸地震である濃尾地震が発生。
瀬古安太郎は被災地各地を巡り、被害状況を写真で記録しました。
なかでも「根尾谷断層写真」は貴重な歴史資料として高く評価され、現在も岐阜県の歴史資料として保存されています。
宮内庁からの御用達により、岐阜県内の学校へ奉安殿用の明治天皇御真影の複製を手掛けました。
地域社会や教育の発展にも深く関わる存在として歩みを続けました。
大正10年、後にノーベル文学賞を受賞する作家・川端康成が瀬古写真館を訪れ、記念撮影を行ったと伝えられています。
当時まだ若き文学青年だった川端康成の足跡が残ることは、150年の歴史を持つ瀬古写真にとっても貴重なエピソードのひとつです。
この来館の様子は、後年発表された私小説『南方の火』にも記されています。
第二次世界大戦の空襲により本館を焼失。
戦後、旧店舗跡に新たな店舗を建設し、再び地域の皆さまとともに歩み始めました。
創業100周年を迎え、現在の本館スタジオを建設。
社名を「瀬古写真館」から「瀬古写真株式会社」へ改め、さらなる発展への一歩を踏み出しました。
瀬古安明が代表取締役に就任。
学校写真や卒業アルバム制作をはじめとする事業領域の拡充を進め、地域に根ざした写真会社としての基盤を強化しました。
写真業界がフィルムからデジタルへ大きく転換する中、第2オフィス1階にデジタルイメージングラボを開設。撮影から編集・制作までのデジタル化を推進し、時代の変化に対応してきました。
岐阜市川端町の第二オフィスをリニューアルし、撮影スタジオ「studio Laugh+L」を開設しました。
創業以来培ってきた伝統的なスタジオ撮影に加え、現代的な撮影スタイルや多様化するニーズに対応できる環境を整備。
現在は、「瀬古写真本社スタジオ」と「studio Laugh+L」の2つのスタジオを展開し、それぞれの特色を活かしながら、お客様の大切な瞬間を写真として残し続けています。
瀬古写真は、家族写真などの記念写真や、スクールフォトや卒業アルバム制作などを中心に、地域の皆さまの大切な思い出を未来へ残す仕事を続けています。
これからも写真の持つ価値を大切にしながら、新しい時代にふさわしいサービスを提供してまいります。