瀬古写真

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History of SEKO Photograph

  • 江戸末期

    黎明期

    江戸末期、初代・瀬古安太郎は瀬古弥左衛門の次男として岐阜県武儀郡上之保村に出生。
    長男・弥平は飛騨高山で時計店を開設。瀬古安太郎は岐阜にて時計店を営みつつ写真業を志し、明治5年頃写真業への野心を胸に秘めて、ドイツのケルン市へ向かった。
    そこで写真用のレンズ製作のマイスターにレンズ製作を発注。
    6ケ月後にダルメヤー・ポートレートレンズ(Dallmeyer Portrait Lense)を入手して帰国。
    写真機のボデイやガラス原版を挿入する取枠は宮大工に誂えた。
    その後、日本の写真師の開祖と言われる「上野彦馬」の流れを組む美濃ポトガラフィーの開祖である「小島柳蛙(こじま りゅうあ)」に師事して写真術を学んだ。
    その後、長男・弥平も飛騨高山で写真館を始め、三男は福井に開業。四男は愛知県犬山で開業。

  • 明治8年[1875年]

    初代 瀬古 安太郎 (草創期)

    初代・瀬古安太郎は、岐阜市今泉(現在の米屋町)に東海地方で初めての写真館を開業した。

  • 明治24年[1891年]

    10月28日、M8.4の内陸地殻型の濃尾大震災が発生。大八車に機材一式と感光材料を積み、弟子を連れて岐阜・高富・大垣・羽島・笠松に至る一円を記録に収めた。
    特に「根尾谷断層写真」は日本地震学会から大きな注目を集め、重要資料の指定を受けた。
    それらの資料や機材は岐阜県博物館と岐阜県歴史資料館に収められている。

  • 明治25年[1892年]

    宮内庁からの御用達により、岐阜県内の全学校の奉安殿に御下賜の明治天皇御真影の複製の栄を賜る。

  • 明治25年[1892年]

    日露戦争の戦勝を足がかりとして、瀬古真二(後の二代 瀬古安太郎)はロシアに渡り、ハバロフスクやニコリスクにて営業写真館を開設した。

  • 大正10年[1921年]

    10月8日、川端康成が、初恋の人:伊藤初代(当時岐阜在住)と友人:三明永無とともに瀬古写真館を訪れ、撮影を依頼したと言われている。この撮影状況は私小説「南方の火」に書かれている。
    伊藤初代との出会いが原点となって、名作「伊豆の踊り子」や「雪国」が生れたと言われている。

  • 大正12年[1923年]
    瀬古 安太郎

    二代 瀬古 安太郎

    初代・瀬古安太郎は80歳にて逝去。瀬古真二が二代 瀬古安太郎を襲名した。

  • 大正14年[1925年]
    本館

    二代目・瀬古安太郎は写真館の発展に力を注ぎ、岐阜市今沢町に洋館コンクリートタイルの本館を建造した。
    当時の瀬古写真館は写真感光材料の開発に挑み、「早撮り写真師」の異名を取っていた。

  • 昭和5年[1930年]

    合資会社瀬古写真館として資本金五万円の同族法人となる。岐阜市内に2箇所の支店を開設。

  • 昭和23年[1948年]

    第二次世界大戦の空襲によって本館を焼失し、旧店舗跡にて、15坪のバラックを建て、再起を期する。

  • 昭和26年[1951年]
    瀬古三郎 新スタジオ

    三代 瀬古 三郎

    二代 瀬古安太郎は66歳にて逝去。瀬古三郎が三代目の頭首となった。
    同年、株式会社に改組し、木造三階建の新スタジオを建設した。

  • 昭和32年[1957年]〜

    瀬古三郎は岐阜市及び、岐阜市近郊にて業容の拡大に努め、弟・瀬古秀夫は名古屋市の大須に名古屋本店を構えて写真業を拡大していった。

  • 昭和50年[1975年]

    会社は創立100年を迎え、永年の顧客の方々や政財界から大勢の人々が参集して大パーティが開催された。
    100周年を記念して、現在の本館スタジオを建設し、社名も“瀬古写真館から瀬古写真株式会社”へと改名した。

  • 昭和63年[1988年]

    四代 瀬古 安明

    瀬古三郎は70歳にて逝去。瀬古安明が代表取締役に就任。

  • 平成9年[1997年]〜

    業容が変化し、本館社屋で衣装・美容の取り扱いが始まり、スタジオも2箇所に増設。
    岐阜市川端町5番地に「第2オフイス」を建設。学校部門が移動し、デジタル研究が始まった。

  • 平成14年[2002年]〜

    ブライダルの変革が始まり、ホテルウエデイングに加えて、ハウスウエデイングの時代へと突入した。 会社もテナントワークとしての名古屋事業所及び四日市事業所を開設した。

  • 平成20年[2008年]〜

    ダゲレオタイプ以来、150年近くに及んだ、いわゆる「アナログフイルム」時代が終焉を迎え、デジタル時代が世の中を席巻するようになり、第2オフイスの1Fにデジタルイメージングラボを開設。

  • 平成25年[2013年]〜

    五代 瀬古恵介は、3月に株式会社「Memoris」を設立。新たな写真時代の幕開けを期すべく、アミューズメントスタジオ「Memoris 白壁店」を名古屋市東区主税町にオープンした。
    その後、翌年には「Memoris 天白店」をオープン。2015年には「Memoris 一宮店」を開設。
    同年、主税町に「Memoris本部」を設け、2016年「Memoris 勝川店」2017年「Memoris 豊田店」を開設。

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  • 平成30年[2018年]〜

    7月に岐阜市川端町5番地「第二オフィス」の1,2階部分を、白ホリをベースとしたアトリエ「studio Laugh+L」としてオープン。
    翌年6月には3階部分もアトリエとし、新たなニーズに対応できるスタジオとして開設し現在に至る。

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  • 令和4年[2022年]〜     

    五代 瀬古 恵介

    3月1日 瀬古安明は代表取締役社長を勇退し、取締役会長に就任。         
    瀬古恵介が第5代目として、瀬古写真株式会社代表取締役社長に就任。
    瀬古恵介は株式会社Memorisの代表取締役社長との兼務となった。

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瀬古写真

瀬古写真株式会社

〒500-8822

岐阜県岐阜市今沢町9番地

Tel. 058-264-8288

営業時間 9:30〜18:00 (ご予約制)/ 定休日 火・水曜日

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